人生オンラインプレイ日記

大人気MMOのプレイ記録

これが年を取って、老いるということ

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長らくブログを放置していたのだが、新年ということで過去の記事を一旦非公開にした。
そして、PROに登録してみた。
ちゃんとブログを書き続けられるようにしたいものだ。


過去の記事でなんでコレが人気があるのか全くもって理解できない記事もあるのだが、
隙を見て、書き直して再公開しようと思う。
我ながらどういう精神状態でかいたのか、検討もつかない。


自分の事なのに、過去の行いの理由がわからない事が沢山ある。

桃缶を素手で開封

自分の人生の中で郡を抜いて意味の分からない行動がこれだ。


大学生時代に、ふと桃缶が食べたくなったのだ。
風邪を引いたときにだけ食べられるアレ。


しかし、大学生の一人暮らしなら誰彼はばかる事なく、
健康体の身で桃缶を食べた処で問題はない。


私は喜び勇んでスーパーに桃缶を買いに出かけた。
上着を羽織って、颯爽と玄関から飛び出した私はかの英霊と見紛わんばかりの勇ましい後ろ姿だったに違いない。
「スーパーに行ってくるのは構わないが、別に桃缶を買ってきても構わんのだろう?」
まさしく、死亡フラグである。


平日昼間のレジの混み具合にうんざりしながらも、
念願の桃缶を手に帰宅した私は、いざ食べようとして過ちに気付いた。


缶切りを持っていなかったのだ。
一人暮らしを初めて一ヶ月程度の出来事である。
缶切りなんて、ちょっと気の利いたものなんて持っていなかった。


途方にくれた。
缶切りがいくらするかは知らないが、貧乏な学生がおいそれと買える代物とは思えなかった。
当時の私にとって缶切りは高級品のように感じられた。
後から知ったことだが、100均で普通に売っているのだけれども。


絶望の淵で、私はとある雑学を思い出した。
缶詰の開発から缶切りの開発までは間が空いていた。
それまでは銃で蓋を吹き飛ばすなどして開封していた、と。


時の私は空手道部に所属していた。
パンチ力は一般人より強い自信があった。


濡れタオルで転がらないようにして、床に桃缶を置いた。
円筒部分のカーブを殴った。
加えられた圧力に耐えかねて、蓋が開いた。


開いた勢いで、液体が飛び散った。
クジラが潮を吹くときだってもう少し穏やかではないか、と思うほど勢い良く汁が飛び散った。
半開き程度だったので、桃は飛び散っていない。


ひとまず空いた隙間にハサミをねじ込んで蓋を開けきり、中身を取り出して食べた。
とても甘い食べ物のはずなのに、なぜか苦々しい気持ちになった。


床や壁、本棚。はては天井までもが桃の汁でベタベタだった。

考えなしな情熱を行動に移せるのが若さだ

今なら、面倒くさいと思いながら缶切りを買いにもう一度出かけるだろう。
100均ではない、おしゃれなやつを買うかもしれない。


問題の解決方法を知っているから。
だが、問題の解決方法を自ら考え、失敗を恐れずにぶつかっていけた二十歳の頃の私は情熱があった。


何事も己の力で切り開けるのだ、という根拠のない自信に支えられた情熱。
社会にでて、三十路になって。
失敗も挫折も経験して、徐々に手の抜き方、狡猾さを身に着けて来たことで、
生きることそのものへの情熱がなくなってきた気がする。

きっとこれが老いる、ということの一つなのだろう。



どう考えても当時が頭悪すぎなだけだな。